別府八湯温泉まつりは、明治43年に別府商業会(現在の別府商工会議所)が「温泉市大売出し」を企画し、農閑期である11月に開催するようになったのが始まりとされる別府を代表するまつりです。また、大正8年には南部の長谷神社と愛宕神社を合祀し、旧別府公園に温泉神社が創建され、その神事として現在の御旅所まで御神幸されるようになりました。
 昭和の初めには、この「温泉市大売出し」と「温泉神社の神事」が融合し、「豊年祭り」という名称で、現在のように4月1日から開催されるようになりました。大売出しという商業的イベントと、鷽替えという鳥の人形を取り替えて厄を払う伝統行事も催され、次第に賑やかで盛大なまつりとなっていきました。
 昭和6年には、「豊年祭り」から「温泉祭り」に改称して、別府温泉祭奉賛会の主催で4月1日から5日までの日程で行われました。このときから現在の「別府八湯温泉まつり」のような盛大なイベントに発展していったようです。この年の温泉祭りは、史料によると、楠港桟橋から流川、松原両通りにかけて数十万人の人出があり、路上で寸劇を行う八十八組の仁輪加隊が街を練り歩き、温泉神社、松原公園、海門寺公園では鷽替えが連日行われたと記録されています。ただし、のちにまつりの中心となった御輿の御神幸や湯かけはまだ行われなかったようです。終戦前後に一時中断しましたが、温泉の恵みに感謝するまつりとして復活し、現在に続いています。
 平成13年には現在の「別府八湯温泉まつり」と改称して、全市をあげてのまつり行事として盛大に行われるようになりました。また、戦後に温泉神社は八幡朝見神社に合祀されました。現在では御神火採火式などの開会行事は同神社で執り行われています。なお、期間中に開催される「扇山火まつり」は、昭和51年に、それまでの春の野焼きを発展させたもので、別府の春の風物詩となっています。